何故役に立たないことを勉強しなければならないか 後編
前回まとめ:質問「何故役に立たないことを勉強しなければならないの?」
答え「おとといきやがれべらぼうめぇ。そもそも、役に立つとは何か、ほんとうに役に立たないのか調べてから出直して来な!母さん!塩まいてくれ!」
前回のブログはこちら!「なぜ役に立たないことを勉強しなければいけないのか 前編」
自分にとって本当に役に立たない場合
もし、子供がきちんと「いま勉強していることが役に立つのか」を調べて、血反吐を吐くほど悩んだ結果「うん、やはりこの内容は自分の人生において何の役にも立たない」と結論づけたとしましょう。その場合、「役に立たないことだから、勉強しなくても良い」と言えるでしょうか?お子さんをお持ちの保護者の方や、学校、塾の先生は「いや、勉強はしなくてはいけない」と答えるでしょう。ではその根拠は?
何故学生に勉強をさせるのか
当たり前の話ですが、学校に行くと学生は漏れ無く勉強させられます。何故でしょうか?
一つは学生が将来的に生きていく上で必要なことを事前に学ばせることで、将来その学生にとってより良い人生が送れる可能性が高くなるからでしょう。
殆どの学生、保護者、教師はこの観点から勉強をしなければならない理由、しなくてもいい理由を述べようとします。しかし、教育にはもう1つの側面があることを忘れてはいけません。
それは教育は将来、この社会を担う人間の選別を目的としている側面があるということです。
これは、社会教育学では、常識ですが、学校で学生に教えることは殆どありません。
学校の先生が生徒に向かって「この中には、将来社会的に有用で重宝される人材とそうでない人材がいるからそれを峻別するためにテストをするぞ」とは言いません。建前上は平等主義的な発言をせざるを得ないのです。
勉強が役に立たず、つまらない理由
こんなことを言うと「だったら、もっと万人が面白くて価値のあることを学ばせれば、皆頑張って勉強するのに、何で役に立たなくて、つまらないことを勉強させるんだ」と文句をいう人がいるでしょう。これに対する答えは極めて単純で「選別をする為には、万人にとって役に立たず、つまらないものの方が勉強させる上で良い」からです。
多くの学生は勉強を「役に立たず、つまらなく、つらいもの」と認識しています。
もし勉強が誰にとっても面白く、価値があるものだったら、どうでしょう?
多くの人は遊びそっちのけで勉強をするのではないでしょうか。しかし、社会に出て働く際に皆が皆、分かりやすいほど価値があり、面白い仕事など出来るでしょうか?
大抵の人間の仕事は、一見すると価値が分かりづらく(役に立たないように見える)、面白くないことをしなくてはいけません。
指導時間の際に事務仕事をすると生徒が「先生、仕事してない」とよく言われるのですが、これは典型例です。指導と較べて事務仕事は、傍から見ると価値がわかりづらいし、指導のほうが楽しいですが、事務仕事も必要な仕事なのです。
自分がしたいことにしか努力できない人は余程抜きん出た力を持ってないかぎり、社会から高評価を受けません。自分にとって一見すると、価値がなさそうでも、自分にとってつまらないことでも、きちんと努力し、成果を出せる人間を社会は求めています。
その為、学校で学ぶことは一見すると価値がなさそうで、つまらないものでなくてはならないのです。
まとめ
何故役に立たないことを勉強しなければならないかという問いには(たとえ自分にとって本当に勉強が役に立たなくても)明確な答えが存在する。
・学校における勉強は、社会に役に立つ人間か否かを峻別する役割がある。
・「自分にとって役に立たない」と言って勉強をしない人間は社会に「役に立たない人間」と見做される。
・むしろ自分にとって役に立たないことでも頑張れる人間を社会は欲している。
日本で生きていく上で、(一般的に言われる)より良い人生を歩むには、役に立たないことに関しても(社会がそれを推奨しているなら)勉強をしたほうが良い。
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